Archive for 11月, 2011

館長連載:私の美術漫歩第5回

第5回 大下藤次郎「西山峠の白峰」 

中央アルプス、三之沢岳(2846m)頂上直下、ケルン(遭難碑)。毎年のように、花と線香と酒を持ってここに来る。

三人の山仲間を祀ってある。うち一人は、ここから正面に見える宝剣岳から木曾谷側に滑落死した。44年前の2月、蒼氷の張る雪稜だった。

亡くなったのはリーダー。サブリーダーだった、私の力量が問われた。

翌年、その遭難碑を建てた。3mを超える頑丈なものだ。「神よ、護りたまえ。白き高みに憧れる若者を。」の碑文をつけた。

以来、44年、風雪に耐えて、しっかりとしかもけなげに立っている。

ここからは、穂高岳、甲斐駒岳、白峰山(北岳)など、日本アルプスの殆どの山がよく見える。

ところで、明治、大正期で、山を描いた水彩画家といえば、大下藤次郎(1870-1911)、丸山晩霞(1867-1942)だろう。両者とも、小島烏水(1873-1948)が始めた「日本山岳会」に草創期から、名を連ねている。小島の本の装丁や挿絵も両者で担当したものが多い。

美術に携わるようになって初めて、竹橋の近代美術館で大下の「穂高山の麓」(第一回文展入選作)を見た。山とロマンに憧れ、穂高に入り浸っていた青春の甘酸っぱい想いが甦ってきたのを覚えている。

以来、絵の虜になった。「六月の穂高岳」「穂高山の残雪」「甲斐駒ケ岳」、みんないい。尾根筋、谷あい、岩壁の一挙手一投足が懐かしく思い出される。

ここでは「西山峠の白峰」をとりあげたい。

『小島烏水は甲斐の白峰を世に紹介した率先者である。私は雑誌「山岳」によって烏水の白峰に関する記述を見その山の空と相咬む液状の輪郭、朝日を受けては紅に夕日に映えてはオレンジに、かつ暮刻々にその色を変えてゆく純潔なる高峰の雪を想うて、いつかはその峰に近づいて、その威厳ある形、その麗美なる色彩をわが画帖に捉うべく、絶えず機会をうかがっていた』(大下藤次郎白峰の麓 M42年11月)

大下は、白峰を「近く見るには西山峠、遠く見るには笹子峠、この二つがよいようである。」とし、何と明治42年11月、二週間にも及んだ甲州西山温泉への山旅を敢行するのである。鰍沢(北斎、富岳三十六景・石班沢の舞台でもある)からデッチョー(出頂)の茶屋を経て、源氏山の脇を通り西山山脈の尾根に達する。

「甲州西山は白峰の前岳で、早川の東、富士川の西に介在せる五、六千尺の一帯の山脈である。この峠に立ったなら白峰は指呼の間に見えよう。」

そして、遂に見たのである。新雪の白峰を。ところが、これが白峰(北岳・3192m)ではなかった。間ノ岳、農鳥岳と続く白峰三山でもなかった。

荒川三山のうち東岳(3141m)、別名、悪沢岳であったようだ。その日は、峠を越えて湯島に下り西山温泉に逗留した。

翌日、旧道を登り返して、昨日見た山をスケッチする。そして出来たのが「西山峠」。

この絵がなかなかいい。峠の枯れた山毛欅(ぶな)の木越えに遥かに望む新雪の白い峰。木にかかったサルオガセ足許の熊笹、幾重にも変化する空の青とうっすらたなびいた白い雲、山好きにとっては垂涎の一作である。

ちなみに、私の生地は鰍沢の南の村。この峠には足を運んだことはなかったが、峠に連なる山々は、生活の場でもあり度々跋渉している。

ところで、デッチョーの茶屋は、今はない。西山山脈という呼び名も、今は誰もしない。西山峠なる峠は、2万5千分の一の地形図にも見つからない。大正11年、朝香宮殿下が名づけたと言われている足馴峠はある。

足馴峠が西山峠なのか、そこから見た白峰が、実は何なのか、確かめに行くことにした。

9月19日、大下から102年の時を経た山旅。大下が辿った山道は、殆ど廃道になっている。藪をこぎ、熊笹を分け辿りついた尾根。コメツガ、ブナ、カラマツが育ち、合間に見える山。それはまごうことなき悪沢岳。断じて白峰ではない。

足馴峠も廃道で、峠としての面影もない。それが西山峠だと言い切るすべもない。

西山峠とは、大下の心の中のロマンの峠ではなかったか?大下は、西山温泉から早川筋を、平家の落武者の部落「奈良田」までスケッチ旅行している。が、悪天が続き、白峰は見えなかった。

あれほど憧れた、白峰の絵は遂に残されていない。

                            

残念ながら、練馬区美には大下の絵はない。その殆どが島根県立石見美術館にある。

「西山峠」もだ、何故か?

石見は、森鴎外の生地。石見美術館のコレクション方針は「鴎外ゆかりのものを収集する」にある。その鴎外、大正元年(大下没翌年)大下を主人公にした小説「ながし」を書いた。それが縁で、日本アルプスとは遠く離れた石見に収蔵された。

ちなみに、鴎外には画家・宮芳平をモデルにした小説「天寵」もある。宮の作品は、練馬にも多い。2013年は宮の生誕120年にあたる。双方で回顧展が計画中だ。

その大下、雑誌「みづゑ」を発刊、それが現在、「美術出版」(美術の手帖の版元)につながっている。現社長、大下健太郎氏は5代目で、藤次郎の會孫にあたる。

その美術出版社から、練馬で開催し好評を博した「磯江毅」の画集が刊行されている。

最近、妙に縁の不思議を感じ始めている。今回も、山の縁、美術の縁、甲州の縁、鴎外の縁、版元の縁などなどである。

その縁が、この駄文を書かせ、「私の美術漫歩」もう少し続けてみようという気にさせている。

                  

*「西山峠」
高尾山の南、標高500m前後の尾根道に西山峠というのがある。峠とは名ばかりで薄暗く展望は全くきかない。
「大下藤次郎の水彩画」(2008年、石見美術館編、美術出版刊)では、ここを大下が行った西山峠としているが、間違いである。

                   

*次回は、井上靖「星と祭り」琵琶湖北岸十一面観音の旅

                  

練馬区立美術館サポーター通信「階(きざはし)」14号、2011,10,1発行より転載

森の住人になった!!

10月15・16日の2日間、練馬区立軽井沢少年自然の家ベルデ軽井沢にて、

<ベルデ軽井沢お泊りワークショップ>森の住人になろう!! 開催しました!

作家の大小島真木さん、 ダンサーの高須賀千江子さんとともに、仮面を作ったり物語を考えたり。

 

仮面をつけて森に入ることで、より森自体を全身で感じることができたのでしょうか、大人も子どもも素敵な仮面と物語、そして楽しい思い出が生まれました。

当日の詳しい様子は美術館の教育普及記録をご覧ください。

 大小島さんのホームページベルデのブログでもご紹介いただいています。