Archive for 1月, 2012

館長連載:第6回私の美術漫歩

井上靖「星と祭り」琵琶湖北岸十一面観音の旅

    

30台の半ば、作家の井上靖先生(1907-1991)と何度か旅行したことがある。

銀座の文壇バーで知り合って、誘われるままについていった。

その頃の先生は、日本ペンクラブの会長で、ノーベル文学賞にも度々ノミネートされていた。作家活動以外にも何かと煩わされること多く、私のように浅学菲才の輩との旅は息抜きであったかも知れない。

そのうちの一つが、1981年の琵琶湖北岸から京都山崎への旅であった。

先生は、1971年から72年にかけて朝日新聞で「星と祭り」を連載していた。琵琶湖やヒマラヤを舞台に、大自然(宇宙)や時間の永劫に目覚め「生と死」のあり方「命の大切さ」を考えさせる小説だ。

「先妻との間に出来た17歳の娘、同い年の青年と琵琶湖でボート事故に会い湖底に沈んだ。以来7年、遺体は発見されずじまい。琵琶湖はおろか、湖に近づくのさえ恐い主人公。生でも死でもない<もがり>状態の娘と対話し続ける。失意の中で山仲間とヒマラヤの僧院へ観月旅行に出掛ける。永劫のもとでは、人間の営みなど、とるにたらぬ小さなものだと思い至る。やがて、二人の死を悼み、琵琶湖北岸の様々な十一面観音に参り続ける青年の父に触発され、十一面観音の旅を始める主人公。満月の夜、琵琶湖に舟を浮かべて、二人に鎮魂のたむけをおくる。十一面観音たちも、一斉に祈りを捧げてくれているようだ。かくて、死者も生者も、形あるものもないものも、分け隔てなく救われていく。」

その十一面観音を見に行こうというのである。ちなみに、滋賀県には41体ある。青年の父はその殆どに、主人公は13体に拝謁している。 

1981年秋。まずは高月町渡岸寺。国宝・十一面観音立像(平安時代)。2009年東京国立博物館の「仏像展」にも出品されたから、ご存知の向きもあろう。

井上靖先生の言葉を借りる。『渡岸寺の十一面観音を見に行ったのは四月の桜の時季であった。観音堂は信長に亡ぼされた浅井氏の居城、小谷城のあった丘陵がすぐそこに見える湖畔の小平原の一画にあった。像高194センチ、堂々たる一木造の観音さまである。』

戦乱で焼け出され、土の中に埋められ、村人たちが大事に守り抜いてきたと言われている。

「あなたはどうお感じになったか知らないが、気品、颯爽、凛、森厳、官能、そんな言葉がふさわしい佇まいだ。十一の仏面は王冠のようだ。私にはエジプトの王妃にも見える。何、十一面観音をよく知らないって・・・。困ったものだ。そういう読者のために小説の中で分りやすく表現した。」

『十一面観音さまは頭上に戴いた仏さまたちとごいっしょに、それぞれ手分けして衆生の悩みや苦しみをお救いになろうとしているお姿でございます。観音さまは如来さまになろうとして、まだおなりになれない修行中のお方でございます。菩薩さまでございます。衆生の悩みや苦しみをお救いになることを自分に課し、そうすることによって悟りをお開きになろうとしていらっしゃる方でございます。』

とりわけ私には、裏側についていた大口を開けて笑っている面が、妙に印象に残った。何でも悪や悩みを笑いとばそうとするものらしかった。 観音堂の脇には先生の文学碑「慈眼秋風、湖北の寺」が、屹然として立っていた。

次に、渡岸寺から山里深く分け入った石道(いしみち)という集落にある石道寺(しゃくどうじ)。寺というよりも無住のお堂。

ここに、重文・十一面観音がある。(平安時代、173センチ)なかなか見せて貰えないが無理に開けて貰った。

「素朴。優しさ。野の匂い。親しみのある尊厳が漂っている。花輪のような十一面。私には村の娘さんのように見える。」

先生曰く「これは銀座にはいないね。」

三つ目は、賎ヶ岳の麓、木之本から山手に入った鶏足寺。今は廃寺。石道寺と同じ大きさの重文・十一面観音(平安時代、石道寺より100年古い)。

「美しさ。優しさ。貴品。笑み。ふくよかさ。落ち着いた成熟。私には村の内儀さんのように見える。」

更に「これなら銀座のママに稀にいるかな。」

こころ洗われる旅と言いたいところだが、その頃、仏像に興味はなかった。

冗談まで交えながら、懸命に案内してくれる文豪の熱意と真摯な姿勢に、なにやら違うものがそこにあると感じた。

旅の最後に、京都山崎にある茶室「妙喜庵」に立ち寄った。利休が秀吉と対峙した二畳の間「待庵」がある。勿論、国宝で、めったなことでは入れない。そこに何と文豪と二人で入った。

そこで「あなたはこれまでどう生きてきたのか。これからどう生きるのか。」

柔和でいて鋭い眼光で問われているようで、背筋に冷たいものが走ったのを覚えている。

先生は、毎日新聞美術記者としてスタートした。同期に事業部に配属された

小谷正一氏(1912-1992)がいた。手がけた事業「闘牛」をモデルに小説を書いた。それで芥川賞を受賞して世に出た。氏はその後、日本を代表するプロデューサーとして活躍、その生涯が「無理難題プロデュースします」(早瀬圭一著、岩波書店)として、最近刊行された。最晩年に、氏が招聘した幻のピアニスト、ホロビッツのコンサートで仕事の末端に加えて頂いて謦咳に接した。

先生から「忘れ得ぬ芸術家たち」「レンブラントの自画像」「孔子」など署名入りの初版本を頂いた。まさか、晩年、美術に携わることになるなんて夢にも思っていなかった。

ところで、「孔子」の中に「近き者説(よろこ)び、遠き者来たる。」という言葉がある。

十一面観音の庇護の下、練馬区立美術館もかくありたいものだ。 

*次回は、東野芳明「広告はアートを超えたか?」

練馬区立美術館サポーター通信「階(きざはし)」15号、2012,1,1発行より転載

壁がきれいになりました

新年を迎え、今年も魅力ある展覧会を開催していきたいと思いますのでお楽しみに!

さて、練馬区立美術館は年末年始に展示壁のクロスの張替えをしました。

だいぶ汚れが目立つようになっていて、

「飾ってある絵より、壁のシミのほうが気になった・・・」なんて声もちらほら・・・。

壁がきれいになって、第1弾の展覧会は『森井荷十コレクション展』です。

常設展示室で開催している小規模な展覧会ですが、川柳作家であり、サラリーマンでもあった森井荷十(1885~1948)が昭和初期に蒐集した、日本画の掛け軸、版画など小品約100点を展示しています。

江戸の風情が残る東京風景を描いた錦絵、荷十が生きていた時代の近代都市東京を描いた木版画など、なかなか素敵です。

2月14日まで開催中ですので、ぜひ見に来てください。入場無料です。