Archive for 7月, 2012

幻の古楽器「七弦琴」コンサートを開催

現在開催中の「生誕100年船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―展」の記念コンサートとして、7月28日に楊鵬さんによる七弦琴コンサートを開催しました。

七弦琴とは、中国の古琴のことで4000年の歴史があります。日本では、奏法が難しくまた音量が小さい楽器であったためか、雅楽の編成にも加えられることなく一度断絶します。その後江戸時代に至り、熊沢蕃山、荻生徂徠らの文人に愛好されましたが、一般には広まることはありませんでした。
現在でも演奏家は極めて少なく、中国でも1000人ほど。楊鵬さんは、その数少ない七弦琴奏者のひとりです。

当日は降りそそぐ猛暑の中、約80名近い皆さんが幻の楽器の音色を楽しまれました。

静かな音色の中に時折感じる情熱は玉樹の作品に通じるものがあったのではないかと思います。

「生誕100年船田玉樹 ―異端にして正統、孤高の画人生。―展」は9月9日まで開催中です。会期中には七弦琴コンサート以外にも、8月25日(日)に玉樹のご子息である奇岑さんによるテルミンコンサートも開催予定です(詳細は展覧会ページをご覧下さい)。

この夏は是非練馬区立美術館までお越し下さい!

             

     

楊 鵬(ヤン・ホウ) 1981年中国江蘇省城州市生まれ。南京芸術学院卒業。水墨画学ぶ。七弦琴は、20歳頃より呉丁師に学ぶ。2009年より日本留学。

館長連載:第8回私の美術漫歩

開高健と行ったBAR

 

4月末、一通の葉書が届いた。木家下BAR閉店のお知らせだ。

「赤坂の一ツ木通りで色々な出会いと別れを見てきました。バーカウンターの外側は舞台、内側にいる自分は演出家兼舞台監督。かっての店主の口癖でした。木家下BARという一つの物語が終わります。目を閉じれば、かすみ草が開く音と皆様のさざめきが聴こえてきます。このカウンターは皆様の温もりを忘れないでしょう。この熟された空間に今、栓をします。皆様もどうぞ良き航路をBon Voyage・・・5月30日(水)をもって閉店いたします。35年間、ありがとうございました。
木家下BAR 木家下 玲子」

赤坂の会社で宣伝の仕事をしていた頃、その作家はひょっこり現れた。

「よれよれの開高や。天才!(30になるかならぬうちから、禿げ上がっていた小生のおでこを見て、からかい気味に、そう呼んだ。)何ぞおもろい話ないか?」

フロア中に響き渡る大音声で、決まってそう語りかけるのだ。

「先生、実は・・・。ここでは何ですから、近くにいいBARがあるんですわ。そこで折り入って・・・。」

と言って、出掛けたのが木家下BAR。開店前の客のいないカウンターであれやこれや・・・。そこで話されたのが、アラスカのサーモン釣りやら、モンゴルのいとう釣りのTV番組とCM。サントリーミステリー大賞。シンポジウム「洋酒天国」などなど。

ここでは、殆ど知られていないシンポジウム「洋酒天国」にまつわるエピソードを紹介する。

1981年、氏はルポルタージュ文学で、菊池寛賞を受賞する。同時に映画で、川喜多かしこ、高野悦子氏も受賞している。その関係で、彼も来た。氏の姿を見つけると、やおら近づいてきて「かねてから憧れていた。一度お話したいと思っていた。是非食事でも・・・。」と言って手を握り、尻を撫で、胸を触り、親愛の情を振りまいたのだそうだ。

誰あろう、淀川長治氏だ。

暫くして、茅ヶ崎のお宅を訪ねると、「天才、見てみい。」と取り出したのが、巻紙に墨痕鮮やかに連綿と書かれた恋文。「参ったよ。ほんま開高閉口や。」とまんざらでもない様子。すかざず、「先生、ほっとく訳にもいきませんな。出会いの場所をつくりましょ。」と言って仕込んだのが、ウイスキーづくり60周年記念シンポジウム「洋酒天国」(1983)の中のセッション、酒の銀幕つづれ織「酒の名場面」。

古今東西の映画の中に出てくる酒の名場面を映しながら、その魅力を極上の赤ワインとともに語り合うというもの。ワインがサーブされ始めると、会場がどよめいた。何とデカンターは尿瓶であったのだ。あの広口瓶が、短時間に空気に触れる割合が高く、デカンタリングにもってこいとの氏のアイディアである。更に、セッションが始まるとどよめきは高まった。一部再現する。
          

淀長「一緒にお風呂に入りたい。まあるくて地蔵さんのようなお顔、やさしくて大好き。どこかの受賞式でほっぺをさわった。奥さんがとらないで・・・。あんたとおしゃべりすると、私の人生にひとつの輝きが生まれる。日本の男でこのぐらいタフで、このぐらいサッパリしていて、このぐらい好色なくせに好色でなくて、こんなん珍しい。」

開高「ウハッ、圧倒されますなあ。」
     
淀長「笑ったら可愛らしい。」
       
開高「さすが話術の達人、古代稀な人、尊敬します。」
       
淀長「このテープは、自分の棺桶に入れて欲しい。」
       
       
銀幕つづれ織も何もあったもんじゃない。抱腹絶倒、すべてこれで終始した。

この模様は1984年、月刊文藝春秋、キネマ旬報に所載された。ちなみに、このテープ、淀長さんの棺桶に入ったという話は聞かない。また、2010年、生誕80年で開高展が処々で開かれたが、このくだりは全く触れられていないし、恋文の所在も不明のままである。

さて、その木家下BAR。氏が亡くなった後、カウンターの定席に銀のプレートをはめ込んだ。

「Maestro Kaiko’s Memorial Seat NOBLESSE OBLIGE 位高ければ 努め重し」と、氏が私宛に残していった直筆の文言を彫り込んだ。

「イギリスの貴族を例にとろう。貴族というのは、普段は庶民の上に胡坐をかいて遊び呆けている。女と美酒、美食。いったん事あると、女のベッドからガバッとハネ起き、二日酔いをものともせず、鎧カブトに身を固め、ハイヨ!と大声発し、全軍真っ先かけて突進する。これがノブレス オブリージ。いいか天才、FOLLOW MEやで。断じてGO AHEAD(突っ込め)ではない。肝に銘じなされや。」

壁面には、全ての釣り紀行に同行したカメラマン高橋氏の写真を展示している。毎年、12月8日(命日)の開高忌に展示変えをしている。テーマは、釣りの開高だったり、ダンディズムの開高だったりする。

BARのマスター、木家下正敏氏は2000年、56歳で氏と同じ病気で亡くなった。高橋氏は2007年、奇しくも氏と同い年58歳で亡くなった。

氏に釣りを教え、氏の出演する全てのCMを演出した東條正義氏も今はない。

小生は氏の没年をかなり越え、健在であるが、先のことは分からない。

最後に、氏の言葉を一つ。

「明日、世界が滅びるとも 今日、リンゴの木を植える。」

世の中、どうあろうと、明日のために、けなげな努力を続けていきたいものである。
練馬には、どんなリンゴの木を植えようか。         
                  
<後記>
私流美術界回顧のつもりが、35年通い続けた馴染みのBARの閉店通知を頂きこれ幸いに、急遽変更しました。もとより、美術界を回顧するほどの力量と実績もありません。開高氏は研ぎ澄まされた言葉づかい、独自な表現・文体そのものがアートであり、ジャンルは何であれ、おためごかしな机上の評論が大嫌いでした。

「天才、下手な回顧などするなや。やがて、絹を紡ぐ(かいこ)ならいざ知らず、回顧など何も生まない。いっそのこと、開高でいったらどうや。」

との天啓があったようなないような・・・そんなわけで、次回は開高氏の数少ないアートに対する直言「ピカソはほんまに天才か?」(1991、中公文庫) 
           
           
ちなみに、木家下BARはそっくりそのままの雰囲気で新しい経営者に継承されることが決まった。名前も「Bar Kokage」。

          

練馬区立美術館サポーター通信「階(きざはし)」17号、2012,7,1発行より転載

「生誕100年 船田玉樹展」レセプションを開催

7月15日の一般公開に先立ち「生誕100年 船田玉樹展」のレセプションを開催しました。当日は練馬で最高気温34度を記録するなか、たくさんの方にお集まりいただきました。

船田玉樹氏の奥様・船田辰子さんとご子息・船田奇岑(きしん)さんもお越しいただき、奇岑(きしん)さんからは玉樹氏の思い出と展覧会への想いをお話いただきました。

開会式終了後は、皆さんじっくりと作品をご覧になっていました。

「生誕100年 船田玉樹展 -異端にして正統、孤高の画人生。-展」は7月15日(日)から9月9日(日)まで練馬区立美術館で開催します。皆様のお越しをお待ちしております!