Archive for 3月, 2013

館長連載:私の美術漫歩

 

三井寺がつなぐもの 

 

三井寺の中でもとりわけ高台にあるのが法明院。琵琶湖を一望にできる。
その脇道をちょっと入ったところにフェノロサとビゲローの墓がある。

フェノロサは、1878年(明治11年)大森貝塚を発見したモースの推薦で来日、東大で哲学、政治学を教える。日本美術の価値を再発見、研究・収集に努めるとともに、美術教育、美術行政に関わる。法隆寺夢殿を開け、救世観音像を調査したのは有名な話。ビゲローは、ボストンでモースの日本に関する講演に感銘、1882年(明治15年)に来日。富豪の貿易商の息子で外科医。フェノロサが組織した鑑画会(狩野芳崖、橋本雅邦など)をパトロンとして支える。

フェノロサ(1853-1908)

時あたかも、西洋崇拝や廃仏毀釈の真只中、困窮を極める古社寺の宝物を、調査の傍ら、購入。大阪の古美術商「山中商会」に残る逸話「売りに出た美術品を店内に所狭しと並べ、番号と値段を付けて片っ端から買い捲る。その場で荷造りしボストンへ送った。」(三井財閥総師団琢磨談)

貴重な日本美術を流出させたとも、お蔭で体系的な研究がなされ、散逸、破損されないですんだ恩人とも言われている。

その二人の墓が、何故法明院にあるか?

フェノロサは、教え子岡倉天心の紹介で住職桜井敬徳に私淑し、その導きで受戒し、天台寺門宗に帰依している。院内には、池大雅や丸山応挙の襖絵と並んで、フェノロサの書斎がそのまま残されており、愛用の品々が置かれている。

フェノロサの墓(法明院)

     
1908年、55歳でロンドンで客死、遺骨は1年後、シベリア経由で日本に送られ、法明院に葬られた。その全てをロンドンに進出していた「山中商会」が請け負った。ビゲローは、1926年76歳で没。分骨がボストンから運ばれ、フェノロサの隣に墓が建てられた。

  二人のコレクションを中心とした「ボストン美術館-日本の美術至宝」展が、昨年3月20日から東京を皮切りに名古屋で開催、今年は福岡、大阪へと巡回する。

国内にあったら、国宝・重文級の名品揃いだが、なかでも「吉備大臣入唐絵巻」(平安後期)は圧巻。岡倉天心の後、東洋美術部長になった富田幸次郎が、1932年購入、ボストン美術館所蔵となった。遣唐使吉備真備は在唐中幽閉され、鬼となった阿部仲麻呂に導かれて「文選」「囲碁」など難題を解き帰国を果たすというストーリーだが、絵が面白い。

吉備真備は空を飛んだり、碁石を飲み込んで体内に留めるなど超能力の持ち主だ。登場人物の一人一人が軽妙洒脱で活き活きとしている。全巻コミカルタッチで、「鳥獣戯画」と並んで漫画の源流の一つと言っていいだろう。

ボストンのこの購入をきっかけに、日本を代表する美術品を容易に海外に流出させてはならじと1933年「重要美術品等の保存に関する法律」が制定され、海外輸出には文部大臣の許可がいることになった。1950年「文化財保護法」が施行され、新たに重要文化財・国宝が指定されることになった。旧法は廃止されたが重要美術品はそのまま残った。その数は6000件を超えると言われている。

話を三井寺に戻す。

三井寺は壬申の乱で敗れた大友皇子(天智天皇の子)の菩提を弔うため、その子大友与多王が1300年前に創建し、858年唐から帰国した円珍が再興した。

三井寺は実に多くの国宝、重文を持つ。(国宝10件、重文42件)その殆どを見て頂こうと「国宝三井寺」展を2008-2009年、大阪市立美術館、サントリー美術館、福岡市立博物館で開催した。開祖智証大師(円珍)帰朝1150年、勧学院障壁画狩野光信生誕400年、フェノロサ没後100年を記念してのものだ。

秘仏が寺を出たり入ったりする度、荘厳な法要が丁重に行われ、太りじしで短足の身にとって、長時間の正座はまさに難行・苦行のお勤めであった。

三井寺を代表する宝物には、智証大師坐像(お骨大師)、不動明王像(黄不動)、四季花木図(勧学院障壁画、狩野光信)などがあるが、新羅明神坐像はひときわ異彩を放っている。円珍の唐からの帰りの船、朝鮮沖で「汝の修行を加護するぞ」と言って、夢もとに現れたとのこと。眉根を寄せ、目尻を下げ、額の深い皺、長い髭、畏怖を感じさせる表情だ。

智証大師坐像

智証大師坐像(三井寺蔵)

          

白く塗られた顔、カラフルな色彩と紋様が施され、エキゾチックですらある。

柔らかな手・指、丸い肩からは優しさが滲み出ている。

源義家の弟、義光はこの新羅明神坐像の前で元服式を行い、新羅三郎義光と名乗った。後三年の役で活躍後、常陸の国などを治め、三井寺に没す。甲斐源氏(武田、加賀美、小笠原、南部)を子孫として残す。文武に秀で流鏑馬などの武術、小笠原・武田流などの礼法の祖でもある。

小生、甲斐源氏の地に生まれ、ことさらこの異形の神に心ひかれたのかもしれない。

さて三井寺、開基以来叡山(天台山門宗)との争いが絶えず、度重なる焼き討ちにあったり、秀吉から闕所を命じられたり廃寺の危機にあうが、本尊や宝物は守られ、その都度不死鳥の如く甦っている。三井寺162代長吏(管長)福家俊明氏、「顕(教)・蜜(教)・修験」を究め、「済世利人」(世を救い、人を利する)の天台寺門の教えを先導する穏やかな中にも厳しさ・鋭さを湛えた方だ。何としてでもこの展覧会を成功させたかったのではあるまいか。

大阪市立美術館、サントリー美術館(8万人来館)、福岡市立博物館の展覧会の成功を見届けるように身罷られた。肺癌を患っていたが、おくびにも見せず全ての法要を物の見事に取り仕切った。

昨年9月7日、三井記念美術館「近江路の神と仏-名宝」展内覧会、「不動明王、八大童子像」など、三井寺の宝物10件も出陳されていた。帰りがけに懐かしい方にあった。福家俊彦氏、俊明氏の長男である。今は、三井寺の執事長をしていると言う。
懐かしさのあまり、ついつい「福家さん、サントリーを卒業して、練馬区立美術館の館長をしている。サポーター向けの会報誌に<私の美術漫歩>を掲載している。ブログにも転載している。三井寺展のこと、書いていいだろうか。画像を使っていいだろうか。」と言ってしまった。

三井寺展をやったとはいえ、専門的な事は殆ど学芸員任せ、今回も通り一遍の上っ面をなでるだけの漫歩的駄文になってしまった。漫歩も、もう10 回である。辟易している諸兄には、読み飛ばして頂いて一向に構わない。

但し、以下の後記にはご注目頂きたい。 

<後記>
今年3月で館長としての任期は終わる。当初の目論見も果たせないままだが、やっと肩の荷が下ろせる、と思っていたら、更にもう少しとのこと。うれしい誤算である。逡巡したが、有難くお受けすることにした。で、後2年程、お付き合い願いたい。

                    

練馬区立美術館サポーター通信「階(きざはし)」19号、2013,2,1発行より転載